土壇場はいきなりやってくる

これまで生きてきた中で、土壇場(どたんば)と言える状況に出会ったことは何度かあります。
それは大体いきなり、やってきました。

なので、何の準備もできないのですが、それまで生きてきた日々の積み重ねがきっとその準備になっていたのでしょう。

前触れは少しある時もあれば、全く無い時もあれば。
でも、結局はやってこないとよく分からないのです。

準備なく、目の前にやってきた状況にどこまで対処できるか。どう対応していくか。
自分の力量が問われるところだと思います。
それは頭で考えて、ああしよう、こうしておこうと枠組みを作ったり行動ルールを作るところとはかけ離れたところにある力量です。

その状況に逃げずにどこまで向き合えるか。腰を据えられるか。
そのスタンスが、自然と対応の仕方の気づきに結びついている気がします。
土壇場なんだけど、切羽詰まっているんだけど、何とかならないか。今ここで何をするか。
そうして向き合っていると、ふとスムーズに事が進むアイデアが浮かんできたり、ヒントをくれる人が現れたりしてきます。

準備の仕様が無い、と書きましたが、できないことはやってこない、できることがやってくる、とも言います。
つまり、準備はできているのです。
何をするか頭で考えて分かる、というような準備は仕様が無いのでしょう。
でも、その土壇場に対処していく自分の力量が備わった、という準備ができた時、物事はやってくる気がします。

でも、そういう土壇場の状況、出来事って、後で考えると自分のターニングポイント、またステージの変わり目だったりします。
あるポイントから別のポイントへ連れていかれているような・・・。

そんな切羽詰まった、土壇場の状況も、自分がシフトしていくきっかけの、ある意味ギフトなのかもしれません。
(その渦中にいる時は大変で必死ですが)

だからこそ、日々を大切にしたいものです。
何気ない一日の、その積み重ねが、きっと自分の力量を育んでいるはず。
それはぱっと見で見えなくても、しっかりと積み重なり、磨かれているのでしょう。

その時、やることをしっかりやること。
その時、自分と向き合うポイントをしっかり見ること。
そうすれば、今ここに座り、エネルギーに満ちて過ごしていけるのではと思っています。

2017年4月9日 水野 洋一郎