消費する喜び、創造する喜び

まだ東京にいた頃のことだと思います。
色々と時間を過ごしていて、楽しいなあと思う時、そうでない時、様々にあります。
楽しいなあ、と喜びを感じている時。それはどんな時だろう?と思ったことがあります。
おいしいものを食べている時。
仲の良い友達と話している時。
趣味で何かを作っている時。
イベントを企画している時。(大学生の時、交流会や講演会を企画して行っていました)
などなど、いろいろあります。

あれこれ考えた後、喜びを感じている時に、二つのタイプがあることに気付きました。
一つは、何かを消費している時のことです。
おいしいものを食べる、音楽を聴く、新しい服を買って着る、どれも自分にとっては喜びになることが多いものです。
ですが、これらはそれを消費している時がピーク。そして、同じことを繰り返していると、段々と飽きが来るものだ、とも気付きました。
大きな刺激になるのでしょう。そして、刺激には飽きがつきものです。

もう一つは、何かを作っている時、創造している時。
先ほどはイベントを企画している時、と書きましたが、それは私のケースで、作りたいもの、好きなことなら何でもだと思います。
趣味で手芸で編み物を作る時。
日曜大工で椅子や家具を作る時。
お庭をきれいに作る時。
何気ないものでも、好きなことなら楽しい、喜びの時間だと思います。

これは、そう簡単には飽きが来ません。飽きがこないどころか、じわじわと喜びが強まっていく感があります。
もちろん潮時が来るときもありますが、それは刺激による喜びに比べたら、ずっと先のことです。
そして、このじわじわ来る喜びは、より根底から湧き上がってくる何かな気がするのです。

このイメージをちょっとグラフにしてみると、こんな感じです。

消費する喜びは、消費した時にぐっと喜びが来て、続け過ぎると飽きてしまう。
刺激と興奮、というイメージに近いかと思います。

一方、創造する喜びは、じわじわと上がっていって、それはなかなか下がらないものと思います。
好きなことをするのは楽しい、というのは本質的なことなのかもしれません。

私は、どちらも大事だと思うのです。
仕事で、趣味で、自分が好きな何かを作っていく。それは素晴らしい時間だと思います。
そして、消費する喜びも。
おいしいものを食べに行ったり、好きな音楽を聴いたり、興味のある本を読む。
飽きが来るほどはせず、あまりはまりこまずに程々に楽しむこと。
消費する喜びの特性をしって、程々に付き合うと、楽しい時間が過ごせそうです。

世間では、今は消費する喜びを幸せとして語られ、発信されることが多いかと思います。
創造する喜びも語られますが、限定的かもしれません。
どちらも大事にすると、もっと豊かかなあと思ったりしています。

「自分にとっては、何が喜びなんだろう?」
そんな問いかけは、自分の心に触れて向き合う、素晴らしい一歩になるかもしれません。

2017年8月31日 水野 洋一郎