先手と後手

東京にいた頃、外資系の経営コンサルティング会社は仕事が忙しく、夜12時をまわることもよくありました。
なので、早く帰りたい、と思い、どうしたものかとよく考えたものです。

そこで、なるべく先手を打って仕事をしていこう、と思い立ちます。
例えば、日曜日の夜のうちに、明日から一週間、少なくとも水曜までの三日間ぐらいの仕事の流れやポイントをイメージしておく。
すると、月曜にすぐ作業にとりかかれたり、人との対応でもすぐ返答ができたり、仕事がはかどるようになりました。

帰る時間がどれだけ変わったかは覚えていませんが、仕事がより快調になった感覚は覚えています。

それから約10年が経ち、沖縄に来てから独立し、プライベートで陶芸教室に通っていた時のことです。
土をこね、形づくってから焼くのですが、焼く前に釉薬という薬をかけて色を付けます。それは同時に柄・模様を付けることにもなります。

これも先手を打ってと、こうしよう、ああしようとイメージを考えてから望むのですが・・。

今度は逆に、事前に考えたことがしっくりこない。こないどころか、その考えてきたイメージに引っ張られ(それはしっくりこないのですが)、新しいイメージにも行きづらい、ということになりました。
それは一度や二度ではなく、器を焼く時にほぼ毎回のように起こったことでした。
この「先手」ということが、何か変わってきたんだな、と感じた時でした。

結局、一度どんなイメージを考えてきたか明確に思い出し、それを手放す作業をして、それから新しくイメージを待つ、受け取る、ということになりました。
先手を打って考えることが、逆に重荷になることもある、それまで先手を打って良い方向にばかり行っていたので、自分にとっては衝撃でした。

その後、仕事でも似たようなことが起こり始め、成功パターンと思っていたこともあり手放すのにやや時間はかかりましたが、先手を打って考える、という習慣を手放してきました。

もちろん、後手にまわるのは避けたいところです。
タイミングから遅れ、やらなくてもよかった作業や状況が次々に起こってきてしまう。
もっと早く考えてやっておけば、となるのはウェルカムではありません。

先手でもなく、後手でもなく。
その「タイミング」、瞬間というものがある、と感じたのは、自分が考えることで物事を進めようとすることに価値を置き過ぎていたと気付き、シフトしていく時と同じでした。
今、という時があると。
タイミングが訪れる、といってもいいかもしれません。

それは頭で考えた、分析上の早い・遅いとはあまり関係がない、ということにも気付きました。
思ったより早めにイメージがすっとやって来ることもあれば、行動の直前にインスピレーションを頂くこともあります。
でも、それがタイミング。

頭の中では、早めに分かっておきたい、という気持ちがあります。
その方が安心した気分になれるからです。
分からない、というのは頭にとっては不安なことのようです。
それを避けたい、というのも分かります。

なので、そんな不安な気持ちがでてきたら、こう思うようにしています。
「ふさわしい時に、ふさわしいことをする。」

こう思うと、不思議と気分が落ち着きます。
そうだ、きっとふさわしい時があるはず。それが今ではない、ということだ。このまま待とう、と。

「時を得る」という先人の言葉がありますが、ふさわしい時にふさわしいことをしていれば、自然に栄えるようにできているのでしょう。
流れに乗る一つのコツではないか、と感じています。

2017年10月25日 水野 洋一郎