マインドとコンピューター

以前、人がつくる道具は人間のできることを外側に映したものだ、という話を聞いたことがあります。
なんとなくそうなのかもしれない、と思いました。

今、多くの人がコンピューターを使っています。
PCもそう、スマートフォン、携帯電話もそう。

コンピューターは元々計算機。
数字の計算を元に、文字を扱い、画像を扱い、音楽・動画も扱えるようになりました。
そして、コンピューター同士のやりとり、つまり通信の技術も発展し、インターネットなどの形になり、今に至っています。

そのコンピューターも元を辿れば、計算能力とその計算を指示するプログラムで動いています。
プログラムは論理的に構築され、その指示通りに計算を進めていきます。

と考えると、人間の計算や論理・思考と深い結びつきがあるのが分かります。
もしかしたら、その計算・思考の能力を外側に映したものかもしれません。

文明の進化のプロセスで、コンピューターを扱う時期というものが存在する、という話も以前聞いたことがありました。
コンピューターを発明し扱うという時期を進化のプロセスの中で通るそうです。

とすると、このコンピューターを扱う時期はなぜ存在するのか?なぜ通るのか?と思います。
私なりの意見ですが、コンピューターを扱うことで、便利なのはもちろんですが、人間の計算・思考の能力をどう扱うか、外側に映しだして見直すことがポイントではと思っています。

人は普段何気なく物事を考えたり、計算したりしています。
それはマインドという意識の中で行われています。
マインドは思考と感情の座ですが、その中での思考の部分です。
そこを外側に映しだし、コンピューターの扱いを学ぶとともに、自分のマインド、思考能力をどう扱うか、学んでいるのではないかと思います。

思考は便利なもので、論理性をベースに色々と情報を展開してくれます。
ですが、創造的に使えば物事を生み出すのに役に立ちますが、不安定な気持ちで使うとネガティブな考えを拡大させかねません。

思考も、実はどう使うかが非常にポイントだと思います。
思考を扱う上で、どれだけ自分が腰を据えて、落ち着いていられるか。

コンピューターも同様に使い方が大事でしょう。
コンピューターを活用はするけど、頼り過ぎず、依存せず。
程々の距離を保ちながら、うまく活用する、それは道具を使う人間自身の智慧です。

道具の主人は自分。ならば、道具の主人としての智慧を磨くことも大事です。

ブランドのエルメスは馬具工房から始まったそうです。
そのエルメスのロゴの意味はこんな内容だと見たことがあります。
「エルメスは最高の品質の馬車を用意します。しかし、それを御すのはお客様ご自身です。」

2017年3月26日 水野 洋一郎