「無い」は頭の中だけにある

前回のコラムで「今あるもの」について書きました。
今回は、「ある」にちなんで、「無い」について書きたいと思います。

前回のコラムでは、あれが無い、これが無い、という視点から、今あるものに目を向けると、道が開けることがある、という話を書きました。
では、「無い」とはどういうことか?

今、目の前に、りんごとみかんが机の上にあるとします。
「りんご」と「みかん」はあります。
では、梨はあるか?というと、ありません。
梨は無い、ということです。

当たり前のようなのですが、実は二つのことが混在しているのです。
目の前にあるのは、りんごとみかん。
この二つは物質として存在しています。

一方、梨。それは目の前にはありません。
でも梨があるか無いかを考えるというのは、どこかで梨を見て知っているのでしょう。
知っているということは、梨という果物の概念・情報を持っている、ということです。

そこで、目の前の状況に、この梨という果物があるか無いかを「考える」、また「判断する」。
すると、梨は無い、となります。

この梨に関する一連のことは、頭の働きによるものです。
どこかで物質として存在する梨を見たかもしれませんが、その時目の前には物質としては存在していません。
頭の中で、梨の「概念」を考え、そしてあるか無いかを「判断」しています。
この概念と判断、頭の中のこの二つが、梨は無い、ということに入っています。

ということは、「無い」というのは頭の中の活動ばかり、ということです。
「ある」というのは、もちろん目の前にあるものです。ある、と判断するのに頭も使いますが。
だから、あれが無い、これが無いと言ったり、思ったりするのは、それだけ頭の中に意識が行っている、ということでしょう。

私たちは物質的な世界でも生きていて、そこに地に足付いている、着地していることが生きる上でとても大事です。
だから、物質を扱って、何かを作ったり、使ったりできるのです。
それが、頭の中に行き過ぎると、ややふわふわしてしまいます。
もちろん頭を使って考えるのが大事な時もありますが、ほどほどに、ということです。

だから、頭の中はほどほどにして、目の前に「ある」ものにしっかり向き合うと、道が開けるのでしょう。

また、あれが無い、と考えるのは、あれが欲しいけど無い、という気持ち・感情と結びついているケースが多くあります。
あれが欲しい、あれがあったらいいのに、と。
その期待や欲求があるゆえに、思考が大きくなりがちです。
そして自分がその期待と欲求を持っていることに気付いていないと、無意識的に感情に振り回されて思考がより大きくなってしまったりします。

そんな時は、まず自分が、あれが無い、と思ったり感じていることに気付くこと。確認すること。
そして、それにまつわる自分の気持ち・感情があるか無いか、あったらそれは何かを感じて、確認をするのが大事です。

思考や感情は、はっきり確認をされると、動きが小さくなったり、消えていったりします。
そうしてバランスを取りながら頭を使い、気持ちと向き合うのが、整えながら進むコツの一つと感じています。

何かが無い、と思うことは当たり前のこと、と思われています。
でも実は、それは頭の中にしかないのです。

そして別の視点で見ると、物質の世界には「ある」しかない、と言えます。
物質の世界は「ある」で満ちている――
そう思うと、今まで以上にこの世界を豊かな場所だと感じられる気がします。

2017年6月23日
水野 洋一郎